2007年06月19日
王国の港あと
琉球王国の交易を支えた那覇の港が初めて発掘され、先日、一般公開されました。
その様子を数回にわたって、新聞報道よりも詳しくお伝えしていきます。
この場所は渡地(わたんじ)村と呼ばれた港の中枢部分です。
※詳しい場所はこちら
Posted by とらひこ at 22:44│Comments(5)
│沖縄島南部
この記事へのコメント
湾岸道路と那覇東バイパス・明治橋連結の工事箇所ですネ。埋め戻される迄の僅かな間ですが、琉球王朝時代の渡地や仮屋ヌ前ぇの賑わいが伝わる思いがします。
Posted by ハウ真ちゃん at 2007年06月20日 18:32
水路ように見えますね、中にある四角い石は、両端を行き来するために置いてあるのでしょうか、いろいろ想像すると興味深いですね
Posted by I K at 2007年06月20日 23:57
>ハウ真ちゃん さん
そうですね。保存のための調査ではないところが残念ですが、沖縄県内での港の調査は初めてということで、大変面白かったです。
>I Kさん
次記事にも書きましたが、水路のような遺構はどうやら時代差があったらしいと調査担当者が話していました。
そうですね。保存のための調査ではないところが残念ですが、沖縄県内での港の調査は初めてということで、大変面白かったです。
>I Kさん
次記事にも書きましたが、水路のような遺構はどうやら時代差があったらしいと調査担当者が話していました。
Posted by とらひこ at 2007年06月21日 17:54
☆pacific-18です。
コレが保存されなくて。。。
埋め戻されるとは???もったいないですね~☆
残念です。。。
コレが保存されなくて。。。
埋め戻されるとは???もったいないですね~☆
残念です。。。
Posted by pacific-18
at 2007年06月26日 20:39

>pacific-18さん
もともとこの調査は遺跡のためのものではなくて、那覇から対岸に海中トンネル工事にともなう緊急調査だったらしいです。
実は県内で行なわれる遺跡の調査は、工事で壊されるから記録するための緊急調査がほとんどみたいです。首里城のようなもともと保存するための場所はごく一部なんですね。
もともとこの調査は遺跡のためのものではなくて、那覇から対岸に海中トンネル工事にともなう緊急調査だったらしいです。
実は県内で行なわれる遺跡の調査は、工事で壊されるから記録するための緊急調査がほとんどみたいです。首里城のようなもともと保存するための場所はごく一部なんですね。
Posted by とらひこ at 2007年06月28日 00:35