2009年05月06日
復元・琉球円覚寺
ついに復元なった琉球円覚寺。琉球最大の禅宗寺院で、戦前は国宝でした。
画像は円覚寺の仏殿と山門。
・・・というのはウソです。すみません。
実はこの建物、沖縄職業能力開発大学校の皆さんが制作した復元模型で、
その写真をもとに背景を合成して、本物っぽく見せたものです。
いつの日か、首里にこのような寺院建築群が姿を現わすはずです。
Posted by とらひこ at 18:00│Comments(8)
│沖縄島南部
この記事へのコメント
>ついに復元なった琉球円覚寺。
びっくりするじゃんか!(笑)
びっくりするじゃんか!(笑)
Posted by 茶太郎
at 2009年05月07日 02:06

>茶太郎さん
ちょっと遅いエイプリルフールでした。
ちょっと遅いエイプリルフールでした。
Posted by とらひこ at 2009年05月07日 15:53
戦争で壊れたのですか?あまり詳しくなくてごめんなさい。
でも、いつか寺院建築群が再建されることを願ってます。
でも、いつか寺院建築群が再建されることを願ってます。
Posted by kitten at 2009年05月20日 17:00
>kitten さん
円覚寺は戦争前まで残ってたんですが、沖縄戦で破壊されてしまいました。写真なんかは結構残っているので、充分復元可能だと思います。楽しみですね。
円覚寺は戦争前まで残ってたんですが、沖縄戦で破壊されてしまいました。写真なんかは結構残っているので、充分復元可能だと思います。楽しみですね。
Posted by とらひこ at 2009年05月21日 11:16
復元されるといいですね。
円覚寺を見下ろせた淑順門から詠まれた琉歌です。
真ものさな登て 円覚寺見れば
かくれすみぼさが 手巾ちやげさ (詠み人知らず)
大意:真物あざなの上に登って円覚寺を見下ろせば、世を逃れて寺に住むお坊さんが、私に手ぬぐいを振っている姿が見える。
女官居室を出て淑順門(別名:お中御門)付近にある真ものさな。その遙か下にある円覚寺境内との恋の合図の手招きです。女官と道ならぬ関係にあった?お方がいたのでしようか。ちょっとニッコリする日常を垣間見るような気がしました。
円覚寺を見下ろせた淑順門から詠まれた琉歌です。
真ものさな登て 円覚寺見れば
かくれすみぼさが 手巾ちやげさ (詠み人知らず)
大意:真物あざなの上に登って円覚寺を見下ろせば、世を逃れて寺に住むお坊さんが、私に手ぬぐいを振っている姿が見える。
女官居室を出て淑順門(別名:お中御門)付近にある真ものさな。その遙か下にある円覚寺境内との恋の合図の手招きです。女官と道ならぬ関係にあった?お方がいたのでしようか。ちょっとニッコリする日常を垣間見るような気がしました。
Posted by 涙の滴 at 2009年08月18日 00:12
>涙の滴さん
淑順門付近からだと円覚寺がよく見えますね。今、門は復元中なので、やがて歌が歌われた情景を実際に体感することができるかもしれませんね。
淑順門付近からだと円覚寺がよく見えますね。今、門は復元中なので、やがて歌が歌われた情景を実際に体感することができるかもしれませんね。
Posted by とらひこ at 2009年08月18日 22:43
4月1日から首里杜館から芸大方面への道は封鎖され、石畳歩道に変わるとのこと。こうなれば復元は間近でしょう。
復元後は僧侶が実際に居住して修行や、葬儀なども行われるのかもしれません。ややもすれば尚家の方々の法要が行われるのかも。
復元後は僧侶が実際に居住して修行や、葬儀なども行われるのかもしれません。ややもすれば尚家の方々の法要が行われるのかも。
Posted by からや at 2011年03月10日 20:43
>からやさん
首里城に行きましたが、通行止め予告の看板ありましたね。
円覚寺周辺が当時のままに復元されればかなり雰囲気は変わりますね。
円覚寺はおそらく首里城復元が完全に完了した後かな、と思います。
いずれにせよ楽しみですね。
首里城に行きましたが、通行止め予告の看板ありましたね。
円覚寺周辺が当時のままに復元されればかなり雰囲気は変わりますね。
円覚寺はおそらく首里城復元が完全に完了した後かな、と思います。
いずれにせよ楽しみですね。
Posted by とらひこ
at 2011年03月16日 18:10
