2005年11月20日

天女橋

天女橋

首里城外の円鑑池(えんかんち)にかけられた天女橋です。

この橋を渡ると弁財天堂(べざいてんどう)にたどりつきます。

もとは朝鮮から送られた大蔵経(だいぞうきょう)を収めるための収蔵庫でした。

かつて大蔵経は朝鮮王朝が誇る宝で、当時の人々にとって垂涎(すいぜん)の的でした。

琉球も再三の要請でようやく大蔵経を入手して、わざわざ立派な堂を建てて収めたわけです。



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Posted by とらひこ at 09:50│Comments(7)沖縄島南部
この記事へのコメント
弁財天堂にはそんな目的があったんですね。
中でカビたり湿気たりはしなかったのでしょうか・・・水上だからってそんなことはないかな?
Posted by あゆ at 2005年11月20日 15:11
写真に、うっとりして見入ってしまいました。
水面は鏡のようで、光と影も美しく、緑の濃淡がなんとも言えず・・
Posted by パッションフルーツ at 2005年11月21日 22:20
>あゆさん
たしかに湿気でお経がやられそうですね…当時は防湿剤なんてなかったでしょうし。謎がまた増えてしまいました。

>パッションフルーツさん
自分でもこの写真はよく撮れたかな?なんて思います。沖縄の強い日差しのもとで撮ると風景の光と影がくっきり写るんですよね。
Posted by とらひこ at 2005年11月29日 23:33
周囲が池→風が通るので湿気がこもらない+気温が上がらず涼しい+盗難に遭いにくい

ということで、むしろ経典の保管に適した環境だったのでは?
Posted by 茶太郎 at 2005年12月10日 18:06
>茶太郎さん

なるほど。盗難に備えたというのも考えられますね。当時は大蔵経は屈指の「お宝」でしたからね。
Posted by とらひこ at 2005年12月17日 22:01
何度もすみませんm(_ _)m
そういえば人が生活している寺院などに置くより失火の危険性も少なそうですよね。
首里城にでも保管しようものなら・・・
Posted by 茶太郎 at 2005年12月18日 02:50
>茶太郎さん

おそらく火災もふくめたあらゆる危険から守ろうとした結果、あのかたちになったんでしょうね。しかし結局、経堂は島津軍の侵攻で燃やされてしまいましたから皮肉ですね。
Posted by とらひこ at 2005年12月18日 20:59
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