2006年03月06日

安慶名グスクの石垣

安慶名グスクの石垣

安慶名グスクの穴が残っている理由のひとつに、石垣がよく保存されていることがあります。

なかなかここまでキレイに残るグスクはありません。

他のグスクと比べて注目されていませんが、誰も訪れず静寂を保っているここが、僕は好きです。


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Posted by とらひこ at 00:05│Comments(9)沖縄島中部
この記事へのコメント
ご指摘の「石垣の穴」
今帰仁グスクの平郎門の両脇の穴は、どう考えても誰何のための覗き穴ですし、中グスクは銃眼でいいのではないかと思うのですが、安慶名グスクの穴は、写真で見た限りでは趣が違いますね・・・
11日から3日間、御地に参ります。
なかば冗談で申し上げますが・・・どこかのグスクでお会いできますか?
Posted by びん at 2006年03月06日 19:08
>びんさん

今帰仁グスク平郎門は戦後、全くの時代考証なしで「復元」されたものなので、門脇の穴は現代の遺物と考えたほうがいいと思います。僕は現在、沖縄には住んでいないので会うことはできません。すみません。
Posted by とらひこ at 2006年03月07日 01:33
「全くの時代考証なしで」
・・・手許の『グスク文化を考える』(新人物往来社)などを慌てて手に取りました。認識不足の点、撤回させていただきます。
ご住地のことも含めて、失礼いたしました。
Posted by びん at 2006年03月07日 19:46
>びんさん

いえいえ、普通は史跡の復元はきちんと考証してつくるのが当然と考えますからね。けっこう気付かない方も多いみたいです。

戦後の沖縄の史跡復元は厳密な考証をしないでやられたのがけっこうあります。首里城の歓会門・久慶門もそうです。後に復元された瑞泉門ほかの門との違いは元々のものではなく、厳密な復元をしたかどうかで生じた違いです。
Posted by とらひこ at 2006年03月08日 00:12
えっ!
歓会門・久慶門はもともと瑞泉門と同じ形だったということですか?
前者がアーチ型の石門で後者が門の上に直接やぐらが乗っているという首里城の説明文を普通に信じてたんですが・・・
Posted by 茶太郎 at 2006年03月16日 00:47
>茶太郎さん

いえ、そういうことではなくて、ヤグラの形式が違うということです。瑞泉門のヤグラと歓会門・久慶門のヤグラは同じ形式だったのですが、今復元されている両者のヤグラを比べると違うことがわかると思います。
Posted by とらひこ at 2006年03月17日 12:08
あ、なるほど。そういうことでしたか。
ありがとうございます。
もう一度よく確認してみます。
Posted by 茶太郎 at 2006年03月18日 03:18
>茶太郎さん

瑞泉門のヤグラは朱塗りなのに対し、歓会門・久慶門は着色されていませんし、ヤグラの形も簡素です。しかし、本来は歓会門・久慶門も朱塗りのヤグラだったわけです。おそらく老朽化して次に建てかえる時は元の姿に戻すのではないでしょうか。
Posted by とらひこ at 2006年03月21日 11:05
重ね重ねありがとうございます。
実はどこが違うのかわからなくて悩んでいたところでした(^-^;)
Posted by 茶太郎 at 2006年03月21日 23:11
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