2006年04月03日

500年前の按司の墓

500年前の按司の墓

前回紹介した崖葬墓の上にある百按司墓(ももじゃなばか)です。

墓をとりかこむ石の壁は明治に入ってから作られたもの。

百按司墓とは「多くの按司を葬った墓」という意味です。

もともとは木の屋根が設置され、そのなかに木の棺がありました。

現在でも人骨がゴロゴロころがっています。

木の棺は「弘治13年」(1500)の文字の入ったものがあり、尚真王の時代のものとわかります。

500年野ざらしにされた木の棺は修復され、今帰仁村歴史文化センターに展示中です。


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Posted by とらひこ at 18:46│Comments(2)沖縄島北部
この記事へのコメント
今帰仁には観光以外中々行く機会がありませんでした。それでも志慶真乙樽の墓(本部町にもあります)を今帰仁で探し当てた時はヤッターと思いましたヽ(^o^)丿とらひこさんの掲載する写真記事を見ていると又探しに行こうという気持ちになります。(^^♪
Posted by izena at 2006年04月03日 20:16
> izenaさん

志慶真乙樽の墓は僕は行ったことがありません。意外とガイドブックに載っていない場所でおもしろいところってありますよね。
百按司墓の位置はご存じですか?ヤフーの地図で示しておきますね。

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=26.40.42.972&el=128.0.23.010&la=1&sc=3&CE.x=225&CE.y=246

近くには展望台と「為朝上陸の碑」があります。そこの入口から小さな道を下に向かっていくとあります。
Posted by とらひこ at 2006年04月04日 21:33
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